畑仕事とITと。「好き」を追求して行きついた農家とディレクターの二足のわらじ
デジタルエージェンシーTAMのテクニカルディレクター、伊東拓哉さんの1日は、畑で始まります。朝8時から2時間ほど畑仕事をした後で、10時からはリモートワークでテクニカルディレクションの仕事に従事。ITのスキルに加え、学生時代から追求して気づいた自然への憧憬やサバイバル生活の楽しさを、今は自分の活動の中で体現しています。
この充実した毎日に行きつくまでには、さまざまな試みや挫折もありました。伊東さんがたどった「好き」を追求する道のり、そしてこれから目指したいところについて、お話を伺いました。
畑仕事で始まる1日
―TAMには2020年1月に入社されました。
初めの2カ月は毎日出社していましたが、それからまもなく新型コロナウイルスの影響でリモートワークになりました。今は千葉県我孫子市の自宅で仕事をしています。
1日のスケジュールは、平日だったらまず朝7時に起きて、8時から10時まで2時間ぐらい、家の近くにある畑に出ます。そのあと10時からTAMの仕事です。お昼休憩もあるので、その間に畑に行ったりもしますね。
それで夜7時ぐらいまではTAMの仕事で、子どもを寝かした後、9時以降はまた仕事をしたり、畑の作付計画をスプレッドシートとmiroを使って立てたりしています。
―畑で始まる1日、いいですね。畑はいつごろから始めたんですか?
もともと畑はやりたいと思っていたんですが、畑を借りられたのは2020年3月のことです。ちょうどリモートになったのが重なって、すごくハマったという。もう3月からは朝からバリバリ畑に行ってましたね。
子どもが今3歳で、一緒に遊びながら手伝えるようになったし、コロナで出かけられない中、畑に出ていろいろやれるのがちょうどいいんですよ。畑が生活にフィットした感じで。
今はナスやきゅうりなどの夏野菜を育てる準備をしています。最近、畑を3倍に拡張したので、ストックできる野菜をいっぱい作ったり、妻が好きな花を植えたりしようかな、と思っています。
―畑を3倍に拡張とはかなり本格的ですね。TAMではどのようなお仕事をされているんですか?
ディレクターですが、厳密にはディレクションするだけでなく、ソースコードを読んだり、少しテクニカルな部分まで入り込んでディレクションする「テクニカル・ディレクター」みたいな感じです。
例えば、ある会社のECサイトのシステム運用でエンジニアに指示を出したり、お客さんの質問に答えたりしています。お客さんの質問は結構テクニカルで、そのあたりの知識がないとできないので、自分には向いていると思います。
―そうすると、もともとはテクニカルなバックグラウンドをお持ちなんですね?
はい。大学は情報工学系でした。でも、実はプログラミングに全然興味が持てなくて(苦笑)。
「自分のやりたいことってなんだったっけ?」と大学で初めて考えて、そこでいろんなことにチャレンジしてみました。その中で当時いちばん楽しかったのがバックパック旅行とか、原付で日本を一周したことでしたね。
そんな中で自分はやっぱり自然が好きだと気づかされて。東京の吉祥寺に住んでいたものの、人混みは自分には合わないなというのもありました。やっぱりいつかは旅とか自然とかの路線でいきたいな、と思っていました。
バックパック旅行で変わった生き方
―バックパック旅行は大学何年生のときに?
大学2年のときに原付で日本を一周して、それから今度は海外に興味を持って、大学2~3年の間に1年休学してアメリカをまわりました。
知らない人と出会って、いきなり仲良くなっていろいろ連れて行ってもらったり、もてなしてもらったり…… そういうことは今までしてきたこともされたこともなかったので、「こういう世界があるんだ」と衝撃を受けました。
印象に残っているのは、原付で日本を旅したときに、北海道の温泉郷でタイヤがパンクしてしまったことがありました。8月だったんですが、夜は寒いし、熊も出るし…… という中で、バイク屋さんはなくて。
ホテルの人に「修理屋さんはないですか?」と聞いたら、たまたまスタッフの1人がバイクに詳しい人で、仕事が終わった後にわざわざ来てくれて、全部直してくれたんですよ。
なにかお礼をしたいと思ったら、「そういうのはいいから、君が困った人を見たら助けてあげられるようになりなさい」と言われて、それがとても響きました。その考え方は、今でも大事にしています。
―バックパック旅行に出てから、自分が変わったと感じられましたか?
それまでかなり内気だったんですよ。今でもその気はありますが、人と関わるのが好きになったというか。
例えば、街で道に迷っている外国人に声をかけてあげられるようになりました。昔の自分だったら見て見ぬふりをしてしまったところですが、自分がバックパック旅行をしていろいろ助けてもらったので、そのとき受け入れてくれた人を真似しないと、と思って。
情報工学をやっていても基本的にパソコンと向き合ってばかりで、大学の同級生もそういう人が多かったんですけど、もうちょっといろんな人と会ったりして、いろんな話を聞いてみたいな、と思うようになりました。
―それでも新卒で入った会社はIT系だったんですよね?
はい。最初の会社ではシステムエンジニア(SE)をやっていて、プログラミングをしながらドキュメントをつくる仕事をしていました。
でも、やっぱり自分の興味のある分野の会社に入りたいという思いがあって、2社目は農業系ベンチャーに入って、そこでもエンジニアをやっていました。
―どうして農業関係の仕事が自分のやりたいことだと思ったんですか?
農業というより、まず「食」にずっと興味がありました。
2014年だったと思うんですが、東京に大雪が降って、コンビニから食べ物がなくなったことがあったんです。それまで「食べ物を買う」ということ自体になんの疑問も持っていなくて、当たり前と思っていたのが、本当に食べるものがなくなってしまって。
次の日には復旧したんですが、コンビニになにもないという状況を見て、今までの生活はなにかおかしいんじゃないか、と考え始めました。そこで「自分はなにをすればいいんだろう」と思ったとき、サバイバルの力をつければ大丈夫だという考えに行きつきました。
会社員のかたわら、アウトドア料理のYouTuberに
―実際にサバイバル生活をされたんでしょうか?
井の頭公園で獲れるものを食べようというところから始まりました。
ザリガニがいっぱい獲れたんですよ。そこにザリガニを獲るのがめちゃめちゃうまい少年がいたので、その子に弟子入りして(笑)。コイとか釣るのもうまいし、「東京にこんな野生人いるんだ!」みたいなすごい少年だったんです。
それで、獲ったザリガニで料理をつくっていました。当時はシェアハウスに住んでいて、よくパーティーをやっていたんですが、フランス人もスウェーデン人も当たり前のように食べていて。
昆虫とか変なものでも、今までの価値観を捨てていろいろ食べてみるのも面白いな、と思い始めました。
―それで「食」への関心が「農業」への関心に発展していったと?
そうですね。自給するみたいなところから興味を持って、そこから農家の友達の家に行くようになったんです。実際に農作業をしたら本当に楽しいなと思って。
当時、半分農業をやって半分ITをするという「半農半IT」という言葉があって、なんとなくいいなと思っていました。そういう事業に関われたら面白いんじゃないかなと思って、2017年に農業関係の会社に入りました。
―農業関係の会社ではどんなお仕事をされていたのですか?
配属されたのはクリエイティブなチームで、デザイナーもいたし、エンジニアもいましたね。サイトを作るうえで素材が足りないとなったら、自分で現場に行って写真を撮ったりもしていました。
ただ、あるときから当時いちばん興味のあったBBQの事業に関われなくなり、また、チームの方針で、それまではマーケティング施策の提案から写真撮影まで、Webに関わることならなんでもやれるポジションだったのが、エンジニア専属へと変わりました。
そうしたことがきっかけで、やっぱり自分の興味のあることは自分で突き詰めなければ…… と思うようになりました。
当時サバイバルとかキャンプとかを趣味でやっていたので、その方面で自分にできることはないかなと考えて、2019年にキャンプ料理の動画サイト「アウトドアレシピ」を立ち上げました。
―農業に関わる会社に入ったけれども、自分のやりたいことは自分でやったと。それをお仕事にしようとは考えませんでしたか?
考えました。だから動画サイトは、趣味というよりは仕事感がありましたね。完全にこれ1本でできるようになりたいと。それなりにインスタグラムなどでフォロワーも増えて、広告収入のほかに企業の案件をいただいたりもして、いいお小遣い稼ぎではありました。
でもだんだん辛くなってきたんですよ。基本的に週2~3回動画をアップしていたので、追われている状態だったんです、常に。
天気が悪くて撮影できなかったりすると、土日に7本とか撮ったりもしていたので、家族の時間が犠牲になるところもあって。子どもも大きくなってきて生活環境が変わったというのと、自分のモチベーションが下がったのと両方で、その活動は止めてしまいました。
「自分の仕事になればいいな」というだけのモチベーションだったら、他の仕事をしたほうが稼げるし、もう少し社会的にいいことをしたいというのもあって。そこからは、じゃあそういうのを見つけようとシフトしていきましたね。
「畑アプリ」で社会に貢献
―「社会的に貢献すること」というのは、もう見つけられたんですか?
やっぱり畑関連ですね。畑を始めようと思っても、どう始めたらいいか分からない人が多いと思うので、そのあたりをサポートするものをつくりたいです。
市民農園を借りて、なんとなく始めてもうまくまわらなかったりするんですよ。じゃがいもの種を買いすぎて畑の半分がじゃがいもになったり、水菜が獲れすぎて食べきれなくなったりだとか。
だから畑関連のシステムをつくろうかなと思って、今構想を練っています。それがいいことなのかは分からないですが、もうちょっとみんな地方に住んで、野菜をつくって、のんびりしたほうが楽しいのにな、と僕は思っているので。
―「畑関連のシステム」といいますと……?
「市民農園でどうやって1年で50品種を効率よく育てるか」みたいな本もあるんですが、やっぱりそういうのはアナログなんですよね。カレンダーがあって、手作業で作付計画を立てなければならなくて……。
この場所は何月~何月は使えないとか。連作障害というのがあって、同じ野菜は同じ場所に植えられないという制限があったりするので、来年から場所をずらそうとか。土をどうやって作るかとか。野菜を効率よく植えていくのを便利にするシステムですね。
言ってみれば、個人向けの「Farming as a Service(サービスとしての農業)」。「SaaS」ならぬ「FaaS」ですね。Webアプリとかになると思います。
専業農家のようなプロ向けのシステムはすでにいくつかあるんですが、完全に個人向けはないな、と思って。実は自分がいちばんほしいんですよ(笑)。知識を提供するコンテンツも発信したり、ユーザー同士のつながりを生めるようなものにできたらいいな、と思います。
―具体的な事業計画はありますか?
とりあえず今は1人でやっているので、リリースできたとしてもあと1年はかかると思います。設計段階では自分もプロトタイプのアプリを使って、1年畑をやってみて本当にまわるのかどうか、やってみないと分からないので。畑も3倍に拡張したことですし(苦笑)。
それでも、中期的にはアプリをリリースした後、約2年で1000人ぐらいユーザーが集まればいいなと思います。
仕事と個人活動を両立する仲間
―サバイバルで自給自足から始まった畑への関心が、自分みたいな「ほかの人のために」と考え出したのは、なにかきっかけがあったのですか?
やっぱり「アウトドアレシピ」をやっていて、止めちゃったのがすごく悔しくて……。
というのも、やっぱりアウトドアレシピは自分が本当にいいな、と思えるものじゃなかったんです。まずは自分が本当にいいな、と思えるものをつくりたいという思いが強まりました。
それから、個人でシステム開発をして成功されている方がいて、その人が「自分が興味を持っていることが基本だ」と言っていて、それが僕の考えと一致していたんです。
まずは自分の興味のあるもので、なおかつだれかの役に立つものを絶対やりたかったというのがありますね。TAMに入ってから、ずっとそれを探していました。
―今のアプリのアイデアに行きつくまでの探索の時期には、TAMのメンバーから影響を受けましたか?
TAMはデザイナーやエンジニアなど専門家が多いので、最新情報がバンバン入ってくるのがいいですね。僕は古い知識しかなかったので、そのあたりのキャッチアップができました。
先ほどの個人開発の人の存在を知ったり、新しいツールを使ったり、そういうのはTAMに入らなければできなかったと思います。
TAMは「勝手に幸せになりなはれ」と言っていて、僕にはそこが響きました。実際に仕事をしながら自分でブロガーをやっていたり、イベントに登壇したり、個人的に活動している方もいて。
TAMの仕事もしっかりやりつつ、自分の活動をやっている。そういう人が多くいる会社は魅力的だし、自分自身も学ぶことが多いですね。
かといって、TAMって「傭兵」みたいな人の集まりかと思っていたら、意外とそうではない。人間味があってあたたかい人が多い印象ですね。みんな困ったら助けようという気持ちがあります。
大阪オフィスにはキッチンもあって、みんなが料理を作っていたりとか、和気あいあいとしているところが魅力的だと思います。
本当はもっと社内でも農業に興味があって、趣味でもつながれる人が増えればいいな、とは思っています。仕事だけでなく、農業や趣味こそ本気でやる。そういうのを楽しみたい人がいたら、ぜひ一緒にやりましょう!
株式会社TAM テクニカルディレクター 伊東拓哉
1992年生まれ。大学休学時に「カウチサーフィン」というWebサービスを使って旅をしたことがきっかけでWeb業界に。SIer→農業ベンチャーのWebエンジニア→TAMでディレクター。平日も休日も畑にいます。
[取材・編集] 岡徳之 [構成] 山本直子 [撮影] 石田バレット (Barrett Ishida)