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30代後半でオッサン扱い?! デジタル業界におけるミドル世代の役割

「若い人の業界」とのイメージが強いデジタル業界。率直なところ、何歳ぐらいまで第一線で活躍できるのでしょうか?

同業界が本格的に始動したのは1990年代後半のこと。そのころ、新卒で入社してデジタルマーケティングやWebデザインに携わってきた社員が、今40代後半に差し掛かり、初めてこの問題に直面しています。

デジタルエージェンシーTAMで、デジタル業界の黎明期を支えてきた小栗朋真さん、渡辺弘幸さんもそんな悩みを抱える40代。「先輩のいない業界」で模索していることや、ミドル世代が果たせる役割などについて、お話を伺いました。

デジタル業界のパイオニア

―まずはお2人の経歴を。

小栗:1999年に新卒でTAMにディレクターとして入社しました。その後は一度ライター職に就きましたが、「ライター」といってもチラシやカタログを作ったりとか、ディレクターと一緒にお客さんのところに同行して、超黎明期のWebサイトの提案書を書いたりとか、いろんな仕事を経験させてもらいました。その後はチームリーダーをしながらディレクター的な仕事に戻りました。

TAMがグループ経営になってからは、「共創プランニング」を担う子会社の社長として、「なにをするか」というデジタルマーケティングの上流から考える仕事をしています。

TAMが本格的にWebにシフトしたのは、2000年ぐらいだったと思います。入社前に趣味でホームページを作ったりしていたので、当時は「Webの知識に着いていけない」ということはなかったですね。業界が黎明期だったので、どこの会社も手探りでやっていた状態です。

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渡辺:僕は1996年に「グラフィックデザイナー」として入社しました。TAMが1社目ですね。僕も子会社の役員をやっています。

初めはやっぱりチラシやカタログをメインに作っていたんですが、1999年ぐらいからWeb関連の相談が来るようになって。僕は当時からパソコンとかネットワークとかに強かったので、デザインやコーディングもひと通りやって、Webデザインを担当するようになりました。

2007年にTAM東京オフィスの立ち上げメンバーとして東京に来て、今は神保町にいます。そのときに「デザインだけでずっとやっていくというのは、長い目で見たときしんどいかな」というのもあったので、ディレクションに移行して、今はプロジェクトマネジメントや若手の育成にも関わっています。

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―テック系メディアなどを見ていると、全社員が20代みたいな会社もありますが、デジタルマーケティングやWebデザインの業界では、何歳ぐらいが「ベテラン」ですか?

小栗:「おっさん扱い」みたいなやつですよね(笑)。どうだろう、40手前ぐらいだと思います。

渡辺:デザインの場合、一般的にはグラフィックは紙がベースなので、ある程度経験やスキルが活きて、40〜50代でも活躍できるイメージがあるんですが、デジタルはトレンドの移り変わりが早いんですよね。

例えば、5年前にデザインしたものがすごく古くさく感じたり。それに、デバイスや制作ツールもどんどん進化しますし、経験ではカバーできないところもあり、若い子のほうがかえって上手いと感じるケースもあったりと。

小栗:それはプログラマーなどでも一緒ですね。Webの世界ではたぶん僕らが割とパイオニア的で、業界と一緒に年を取ってきたところがあります。

30代で頭打ち?! 40代はなにをするのか

―昔からこの業界では「40手前でベテラン」みたいな感じだったんでしょうか?

渡辺:そうそう。自分たちより上の世代に “見本” がないから、40ぐらいになったとき、自分がなにをしているかが想像できなかった。

小栗:もう明らかに若い世代が作っていく業界っていうのはなんとなく分かっていたので、年を取れば取るほど不要な人間になるだろう、「なんでこの業界におんねん?」と思ってました。

―それ以上の年齢を重ねていっても、活躍することはできますか?

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小栗:僕は40ぐらいまでは「現場で回すのに、たぶん僕に勝てるやつはおらん」と思っていたんです、どこかで。だからリーダー職もやっていたんですが。

それが特にこの半年ぐらいは、正直すごいプレッシャーを感じる日々を過ごしています。「おまえ、いつまでなにしとんねん」と、過去の自分に言われているような……。

いろんな分野の案件にジェネラリストみたいな感じで顔を出しているんですが、スペシャリストではないので、「ジェネラリスト=なにもできない」感覚をすごく感じたり。

渡辺:僕も数年前から、大きな意味ではデザインはやっていますが、もう手は動かさなくなりました。それは「もうやらない」って自分で意識して。

30、40ぐらいになってくると、良くも悪くもデザインの型みたいなもの、得意分野ができ上がってくるんです。若いころはがむしゃらにやっていましたが、30代半ばになると客観的に自分の作品を見られるようになって、「なんや、これじゃアカン」みたいなことが増えてきたんですよね。生みの苦しみというか。

で、まわりに若いデザイナーが何人かいて、あるとき、もう正直その子らのほうが上手いと思ったんですよ。それだったらやってもらう側に回ったほうがいいじゃないですか。この子たちがデザインしたほうが、絶対いいものができるからって。

今はもういろんなことをやっています。そして、日々勉強ですね。大きな案件のディレクションをする中で、自分の中の武器を少しずつ装備していくというか。そういう意味ではしんどい面もあるけど、やりがいがあるし、まだまだ伸びしろはあるんちゃうかと、ポジティブに捉えていますね。

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年を重ねるからできること

―デジタル業界の案件は、「若い人に担当してもらいたい」というような要望が来ることもあるんでしょうか?

小栗:条件的に云々っていうのは特にないんですけど、この案件は僕が窓口になったらアカンやろうな、というのはいっぱいあります。

例えば、SNSでキャンペーンをして、若い子をターゲットに認知度を上げましょう、みたいな案件とか。そこはもう若い子を担当に立てて、自分は引くべきだと思うので。いつまでも自分が勝ち続けようと思っていたらアカンですよね。

渡辺:僕も例えば「TikTok」とか、別に興味もないのにそこで戦おうとかまったく思わないし、逆にそれに詳しい人をアサインしてやってもらうというのは、全然OKです。

そのときには当然、そういう子たちとしゃべったりして、「今はこんなん流行ってるんや」みたいなのを知っておくレベルでいいかなっていう、割り切り。

―割り切ってプロジェクトがスタートすると、お2人はどういう役割で力を発揮されますか?

渡辺:今って単純なWebサイトの制作にしても結構複雑化しているから、新人の子が1から10まで一人でできるっていうものではない。やっぱり何年か経験して、ようやくできるという感じなんです。

そこはやっぱり、ちょっとだれかがフォローしてあげないとダメなんですね。なんと言うか「見守り役」みたいな役割ですかね。

小栗:最近、昔から付き合いのあるお客さんと、それぞれ若いスタッフを入れて4人でディスカッションしたんです。そのお客さんはなんでも知っていてキレッキレな方なんですが、明らかに若い子2人にしゃべらせようとしているんですよね。

僕はちょっと鋭い質問とか来たときに「僕がカバーしないとアカン」みたいに思いがちなんですけど、若い人にしゃべらせようというその方の意思が読み取れて、僕もそのときはグッとこらえました。

そういうふうにプロジェクトの次の世代を作っていくような、ベテラン同士の参加というのはありかな、と思ったんです。

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―お客さんからしても、ベテランの渡辺さんや小栗さんがいると話しやすいとか、安心感はあるかもしれませんね。

小栗:実は先週、お付き合いのあったお客さんのコンペに落ちまして。馴染みの担当者の方から電話で報告があったんですが、その方が泣き出しはるんですよね。「これまでのことを思い出して」って。コンペに落ちてお客さんに泣かれて励まし返す……みたいなのは初めてだったんですけど、こういうのは嬉しいですよね。

僕は今まで、黎明期のドロドロの中で、お客さんとこういう「戦友」みたいな関係を作れたことにはちょっと自信があって。このドロドロを同じように若い子にもやってもらいたいわけではないんですけど、人との関係の中で相手の懐に入り込むことの大切さ、やりがいも伝えられるといいな、とは思っています。

渡辺:それ、すごく分かる。長くディレクションをやってきた人は戦友みたいなお客さんがいっぱいいて、僕は羨ましいなあ、と思います。そういう人からやっぱり仕事が来たり、相談されたりするし。外部のパートナーに仕事をお願いするときにも、そういうつながりが大事だなあと思いますね。

―なるほど、年齢を重ねるからこその人間関係ということですね。

渡辺:お客さんに怒られるときも、40代ぐらいから客観的に見られるようになりますね。「俺、めっちゃ怒られてるやん」みたいな(笑)。それで「この人もいいもの作りたいから怒っているんや」って、なるべくポジティブに転換する。それってたぶん、若いころにはなかった感覚かもしれないですね。

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「第二の人生」を作って、見せる

ミドル世代の役割として「見守り役」や「指導役」が出ましたが、デジタルサービスのユーザーも高齢化する中で、デザインなど専門職で活躍できる場もあるのでは?

小栗:最近はサービスや商品の新しい価値を考えたり、コンセプトを考える仕事が増えてきていますけど、それはデジタルの技術とはまったく関係なくって。

若い子ならではの新しいデザインのスキルとか知識とかっていうより、もっとお客さんと真正面で向き合ってコツコツと話をして、 理解をして、丁寧に考えて、ビジュアルを作るというようなことが求められています。

そうなると、若かろうが年を取っていようが、本質的にデザインのことが考えられる人が活躍できる場っていうのは、たしかに増えてきているんだろうな、という気はしますね。

渡辺:そういう上流の仕事の専門家として自分をブランディングしていく、みたいなのも一つの道ですよね。僕も、今あらためて本質的なデザインについて学び直しているところです。

小栗:僕の場合は、20、30代前半はスペシャリストとして専門性を深堀りして、30代後半から40代で「マーケ・プロマネ」「人間力・人脈」みたいなジェネラリストとしてのスキルを結果的に磨いてこられたんだと思います。

そうやって「スペシャリスト×ジェネラリスト」のビジネススキルがそろうのって、やっぱり40代中ごろまではかかると思うんですが、そういう縦と横のスキルが両方あると、将来に対しても楽観的になれます。「やろうと思えばなんでもできる」という変な自信みたいなものです。

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小栗:それで今では、趣味のロックバランシングとデジタルを掛け合わせた新しい事業を模索しているんですよ。川で拾ってきた石でロックバランシングキットを作って、ECで販売したり。実は先日、「次世代ロックバランシングアーティスト」にも選出されました。僕もこの世界では「次世代を担う若者」扱いされてるっていうのが笑えますよね。初心に戻ってチャレンジしています。

渡辺:ああ、そういう「第2の事業、人生を切り開く」ってことは僕もちょっと思ってて。一昨年ぐらいから大阪の地元の祭りに参加するようになって、そこで祭りに参加する人たちと接するんですが、自分たちがそういう人たちを助けるじゃないけれど、ITを使ったり、デジタルまわりでなにかできることはあるんじゃないかな、と。「TAMの〇〇部」みたいな形で。

―自分たちよりも前に先輩のいない業界だから、ミドル世代の役割を自分たちがこれから作っていく、ということですね。

小栗:そうですね。道を切り開いたら、また報告します。

渡辺:また続編を。「あのころは悩んでましたね」って言って(笑)。

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株式会社TAM 共創プランニングチームリーダー 小栗朋真
TAM歴20年、コピーライター/プランナー出身の右脳型プロデューサー。困難を乗り越えるプロジェクトマネジメント力でクライアントとの長期に渡るパートナーシップを築く。趣味は石花(ロックバランシング)とファミリー野宿。ボンゴも始めました。
株式会社TAM デザインテクノロジーチーム プロジェクトマネージャー 渡辺弘幸
1996年入社。2007年東京オフィス立ち上げメンバーとして上京。DTPデザイン、Webデザインを20年弱経験、東京デザインチームのマネジメントなども担当。現在はデザインの経験を活かし、クライアントの課題解決に向き合い複数のプロジェクトに関わる。
[取材] 岡徳之 [構成] 山本直子 [撮影] 藤山誠、石田バレット (Barrett Ishida)


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